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西行の恋歌多く捨てきれぬ 現世の業の凄まじくあり (11月11日)(日)

 大雨で寒風吹く。11-17度C 午前中 原稿書き 身辺の整理
 14時 第55回江戸川区文化祭書道展の表彰式に出席する。 文化会長賞を差し上げる(タワーホール・大ホール)
 15時 奥山氏と案件があって要談。
 18時30分 創価学会教育プラザに出席した(タワーホール・小ホール) 20時30分 終了して解散。外は大雨であった。
 

●「大連立構想」と辞意撤回騒動で、永田町を騒然とさせた民主党の小沢一郎代表(65)。
 党内の混乱や政局への影響だけでなく、小沢氏が続投を表明した7日の両院議員懇談会で涙を浮かべた姿もクローズアップされた。
 小沢氏の「知恵袋」とも言われる元側近、平野貞夫元参院議員(71)は一連の動きをどう見ていたのか。
 そして平野氏も「初めて見た」という小沢氏の涙には、どんな理由があったのか。
 
 「うれし涙というか、感涙だったんだろう。党が一致して言葉足らずだった自分の過ちを理解し、思ったよりも支えてくれた。 感極まったのだろう。あんな小沢氏は見たことがない」平野氏が驚いて振り返ったのは、7日の民主党両院議員懇談会の冒頭、小沢氏があいさつしたシーンだった。
 小沢氏が党首会談をめぐる混乱について謝罪した後、「この体にもう一度ムチを入れ、次の総選挙に政治生命のすべてをかける」と続投を表明すると、割れんばかりの拍手に包まれた。そして小沢氏の目に涙が光った。
 
 自民、新生、新進、自由、民主の各党に所属し、20年以上に及び常に小沢氏と行動を共にしてきた平野氏が初めて見た姿だった。
 2日の小沢氏と福田康夫首相による党首会談後、大連立構想が明らかになり、枝野幸男元政調会長らが「ぶれたとしたら党首失格だ」と批判するなど党内が混乱したことで、平野氏は小沢氏が辞任するとみていた。
 平野氏も「責任を取るのは当然」との意見だった。
 その後、小沢氏は4日に辞意表明し、3日間で翻意したわけだが、平野氏はこの間、小沢氏にあえて連絡を取らなかった。
 議員や関係者からは「慰留に協力してほしい」との電話が殺到したが、「会えばケンカになる」との理由から断っていた。
 
 あまりの電話の多さに、平野氏も携帯電話の電波が入らない場所に潜んでいたが、居場所を割り出した江田五月参院議長から6日昼、連絡があり、「辞任すべきなどと言わないでください」と説得された。
 平野氏はその後、「恥を忍び、死ぬ思いで続投すべきだ」との考えに転じ、テレビ番組では、こうした趣旨の発言をした。
 平野氏は大連立構想には理解を示し、「自衛隊の海外派遣について、国連決議を原則とするという点に首相が同意したことが大きい(首相側は同意を否定)。
 小沢氏はずっとこだわってきた。また、連立すれば解散権を握れる可能性があるほか、政策を実現して民主党の政権担当能力を示すことができる。
 海外派遣などで自民党を揺さぶることもできる。その上で、選挙になれば対立軸を打ち出せばいいと考えていた」と小沢戦略を解説する。
 
 だが、小沢氏も
 「未だなお私は不器用で口下手な東北かたぎ。どうしても説明不足になりがちで、それが混乱の一因かと思う。当初から丁寧に説明すべきだった」と語ったように、党内にはこの戦略を理解している者は少なく、役員会では総スカンを喰らった。
 平野氏は「小沢氏は多くを語らず、態度などでコミュニケーションを取ろうとする。
 鳩山由紀夫幹事長や菅直人代表代行、輿石東参院議員会長らは、文字と数字しか信じない。いわば縄文人と弥生人のように(時代が違って)共通の言葉がなかった」と残念がった。
 
 実際、2日の党首会談後、鳩山氏が小沢氏に対し、「総理がもし大連立を持ちかけたら、首相をもらえ」と助言していたという。
 この発言を「小沢氏は『党内の根回しはやってもらえる』と思った」と平野氏は解説する。
 その上で、「今後は小沢氏も『説明する』と言った。もう大連立はないと思うが、政策協議はありうる」と話す。
 一連の騒動で小沢氏の求心力は低下したが、平野氏は「今までの小沢氏だったら辞意撤回はありえなかった。
 党代表選で『自分自身が変わる』と宣言したので、本当に変わったという証明になったかもしれない。『政権獲得』のために恥を忍んで決断したのだと思う」と評価する。
 
 民主党の今後には、「『このままでは選挙は負ける。我々も一緒になって小沢氏を支えなきゃいけない』という危機感が生まれた。
 人間万事塞翁が馬。これからの努力次第だ」とみる。
 ところで、辞意撤回の会見で「心身共に疲れきっていた」と話していた小沢氏。
 その背景のひとつに、「愛犬の死があるのではないか」という関係者もいる。
 関係者によると、小沢氏が都内の自宅で飼っていたメスの柴犬「チビ」が10月17日、18歳の大往生だったという。
 「小沢氏は夜の会合でほろ酔い気分で帰った際、『チビ、チビ』とあやすなど、かわいがっていた。
 秘書も『先生が首相官邸にいくまで生きていろよ』と語りかけるなど、小沢家のマスコットだった。
 3年ほど前にチビの体力が落ちるまで、小沢氏の散歩のお供だった。
 選挙CMで柴犬と共演したように動物好き。部屋にチビの遺骨と遺影が飾ってある。それが政治判断に影響するわけではないが、小沢氏は相当悲しんだはずだ」(関係者)という。
 小沢氏の涙は、さまざまな思いが去来した末のものだったのか。

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