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今一度三島由紀夫の遺書読みて 一人よがりで皆生きるなり (12月05日)(火)

 枯葉が落ちて木々が丸裸になりつつある。「枯葉の時候」であり、いよいよ冬景色である。
 北からは降雪の報も聞こえてくる。
 9-13度C 晴のち曇り 夜中に電話をかけてくる人がいる。
 朝早く電話をかけて来る人もいる。 人は様々だが人生模様も千差万別である。
 8時30分 トーヨー ボーナスの支給日である。 8時50分 区へ
 打ち合わせ 架電 来電 12時 退庁 13時 案件があって西河氏 三田氏と要談(新小岩) 17時 案件があって平野氏と懇談(新小岩)
 18時30分 ゼウスの会に出る(新小岩) 夜は三島由紀夫「金閣寺」を読む。
 

●最近、三島由紀夫の遺書を読み返した。以下に記す。自殺には深い事情があるが、排他てきであり独善的であり、常に一種の狂気が潜んでいると私は思う。 
 所謂普通の「まとも」では為し得ない心理状況である。三島由紀夫の「思い込み」は只事ではなかった。生きていれば彼も80歳であった。
 
 檄  盾の会隊長 三島由紀夫
 
 われわれ盾の会は自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父であり、兄である。
 その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。
 かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官として待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここで夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかつた男の涙を知った。
 ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことは一点の疑いもない。
 
 われわれにとって自衛隊は故郷であり、生温い現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。
 教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
 
 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
 政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の体計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
 われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。
 
しかも法理論的には、自衛隊は違憲であるのは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頒廃の根本原因をなして来ているにを見た。
 もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
 自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。
 
 自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。
 われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目覚める時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。
 自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。
 憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には盾の会を結成した。
 盾の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあった。
 憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。
 国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明かになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。 日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。
 国のねぢまがった大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
 
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったのか。総理訪米前の大詰というべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終わった。
 その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。
 その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般市民の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾わずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。
 治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。
 
 これで極左勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。
 名を捨てて、実をとる! 政治家にとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。
 そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
 
 銘記せよ! 実はこの昭和四十五年(※四十四年の間違い)十月二十一日という日は自衛隊としては悲劇の日だった。
 創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。
 論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
 
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているのならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。
 自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。
 我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起き上がるのが男であり武士である。
 われわれはひたすら耳をすませた。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声は聞こえては来なかった。
 かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
 
 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤怒した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。
 しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないこだ。
 シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。
 しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。
 日本のように人事権まで奪われて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。
 武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行こうとするのか。
 繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばわりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。
 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
 あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう。
 
 われわれは四年待った。最後の一年は猛烈に待った。もう待てぬ。
 自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
 今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
 それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
 これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
 もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
 
 これが、1970年11月25日 作家三島由紀夫が市谷の防衛庁東部方面隊本部のバルコニーから撒いた檄文であり、彼の「遺書」である。
 
 あれからもう三十五年が経過した。 当時子供だった安倍晋三氏は新首相になり、「日本国憲法改正」を「公約」して、今「防衛庁」を「防衛省」に昇格させた。 
 「教育基本法」も替えた。 「国民投票法」もつくる。 そして、「日本国憲法」も改正しようとしている。 三島のあせりは余りにも速過ぎたのである。

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