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下級武士日陰の男の物語 藤澤周平いま再評価さる (11月11日)(土)

 もう虫の声もすっかり遠のいて初冬の風情である。江戸川区文化センター大ホールでの『円蔵寄席』が終わると本格的な冬である。

 江戸川区にも歳時記が出来てきたと思う。読書週間も先日終わったが、灯火親しむ秋の夜長には、やはり時代小説が似合うらしい。

 それも藤沢周平なら格別だろう。藤沢は江戸川区の友好都市鶴岡市の出身である。

 

 新聞の書籍広告に「『藤沢周平 未刊行初期短篇』(文芸春秋)、幻の短篇…十四篇。四十年の時を経て今、甦(よみがえ)る」とあったので、さっそく書店に足を向けた。

 まもなく没後十年になるが、作家の長女、遠藤展子さんがことし一月、父の蔵書を整理していて、古雑誌の束から昭和三十七(一九六二)年から三十九年ごろの助走時代の作品群を見つけ、ニュースにもなった。

 それが今月刊行の運びに。中身は読んでのお楽しみだと思う。

 

 藤沢ファンには、作品の舞台となる海坂(うなさか)藩(モデルは庄内藩か米沢藩)の地図まで作って楽しんでいる“中毒患者”がいると、落語家の立川談四楼さんが、最後の短編集『静かな木』(新潮文庫)のあとがきで書いていた。

 所収の短編の一つ「岡安家の犬」は、一家の愛犬アカを鍋にされた若侍が親友に決闘を申し入れる話である。

 

 脇役の祖父のとぼけたひと言が隠し味となって後で効く。今月から藤沢作品三十巻を『週刊 藤沢周平の世界』として、順に刊行するのは朝日新聞社である。

 第一回「蝉(せみ)しぐれ」には、実際にストーリーマップとして地図と組屋敷の絵までついていた。

 

 遠藤さんの近刊『藤沢周平 父の周辺』(文芸春秋)には、直木賞受賞作『暗殺の年輪』の翌年に書かれた『闇の梯子(はしご)』のおたみの病状は、父から聞いた生母の亡くなる前後とそっくり、などのエピソードもある。没後十年で藤沢ブームが再燃しそうである。

 

 7時 案件があって三木氏と要談(自宅) 11時 案件があって佐々田氏と要談(新小岩)

 雨が降っている 14−20度C 15時 案件があって丹見氏 星野氏と要談(区内)

 18時45分 江戸川創価学会主催の「第三回江戸川区教育プラザ」に出席した(江戸川区総合文化センター)。

 実践報告(4人) 演奏(東京管弦楽団・モーツアルト他) 講演(東口重信氏「心と心のキャッチボール」) 挨拶 多田区長 篠原江戸川総区長 20時15分に終了して散会。 小雨が降り続いていた。

 

 

●韓国の盧武鉉政権と新聞の不仲が新局面(?)を迎えている、産経新聞のコラムが書いている。

 盧政権は政府批判の先頭に立っている朝鮮日報や東亜日報など有力紙とは取材、インタビュー拒否などで激しい対立を続けてきたが、今度は夕刊紙の文化日報に対する購読拒否が「また言論弾圧か?」と話題になっている。

 

 題して“絶読”事件。問題の発端は大統領官邸当局が官邸に配達されている文化日報のうち約六十部の購読を突然、取り消したことだ。

 理由が面白く、文化日報に連載されている小説「強い男」の内容がワイセツなため、女性職員などが購読拒否を決めたというのだ。

 確かにこの小説は韓国の新聞には珍しくセックス描写があまりに具体的で、新聞倫理委員会などからしばしば注意を受けるほどポルノチックだ。

 それだけサラリーマンなど男性読者には人気があるのだが、だからといって大統領官邸が集団購読拒否というのは大げさだ。

 

 そこで出てくるのが最近、反政府的論調が目立つ同紙に対するからめ手の“圧力”ではないかという疑惑説がある。

 青瓦台側は「言論弾圧とはとんでもない。一部職員の間で読みたくないという声が出た結果」と当然、否定しているが、日ごろ気に食わない内外の新聞に報復やイジメをやっているので疑惑の目で見られやすい(?)。

 

●『わが悲しき娼婦たちの思い出』ガブリエル・ガルシア・マルケス著 (新潮社)を読んだ。

 狂気に満ちた老年の性の物語である。 異文化の意匠を借りて新しい創造が試みられる場合、表層の意匠と内部の実質とがチグハグにずれて、風変わりな文化交流の様相をあらわにすることがある。

 印象派の画家たちが日本の浮世絵に執着したことはよく知られているが、執着の結果はしばしば、淡彩の線画を分厚い油絵具で塗りこめたような印象をかもしだす。

 

 南米のノーベル賞作家のこの近作は、題詞としてその冒頭の一文が用いられている通り、川端康成の『眠れる美女』を下敷きにしている。

 いかがわしい秘密営業の売春宿で、男の能力を失った、または失いかけた老人たちが、薬で眠らされている若い娘と共寝して、交わりには至らぬままにはかない性の悦楽を味わう。

 この設定が川端では、まことにみだりがましく妖(あや)しく彩られ、しかもそれがいかにも「美しい日本」らしいベールで覆われているために、一層隠微かつ淫靡(いんび)の度合を強めている。

 

 それに対してこちらの作では、およそなよなよしたはかなげな趣は影をひそめており、ひたすら荒々しく強引で、風情とか余情とかのかけらも見当たらない。

 主人公は長年新聞社に勤め、今は第一線を退いているが日曜版に一応評判のコラムを書き続けている、九十歳の男である。

 この老人が秘密の店で十四歳の少女を相手にする。眠っている少女の全身にキスする以上の行為には及ばぬようだが、会うたびに恋心がつのり、狂気じみた混迷に陥って行く。

 少女が単なる売春婦にすぎぬと思うと錯乱し、部屋をめちゃめちゃに破壊して店の女主人から莫大(ばくだい)な弁償金を要求されたりもする。

 

 川端と比べるまでもなく、自分の妄想に周囲を巻き込む彼の行動の猛烈さは、度を越している。作者七十七歳の作というが、コロンビアの灼熱(しゃくねつ)の陽光が、老いとかかわりないギラギラした欲望の上に、容赦なく降り注いでいる。

 そのさなかに流れるブラームスやブルックナーの室内楽が、法外な出来事と奇妙な対照を見せ、記憶にこびりつく。

 

 ◇G.Garci´a Ma´rquez=1927年、コロンビア生まれ。作家。
 




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