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| 井泉水は山頭火と放哉に 慕われて名品残せり (11月03日)(祭・金) 何故今頃こういうことをするのか良く分からないけれども、北朝鮮による曽我ひとみさん(47)拉致事件で、新潟県警は2日、国外移送目的略取と国外移送の疑いで、北の女工作員、通称キム・ミョンスク容疑者の逮捕状を取った。 キム容疑者は北にいるとみられ、外務省は同日、北京の大使館を通じて北側に身柄の引き渡しを求めた。 また警察庁は国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配した。 一連の日本人拉致事件で実行犯の逮捕状は6人目であるが実効性はほとんど何もない。 調べでは、キム容疑者は、昭和53年8月12日夕、3人の工作員の男に指示し、新潟県真野町(現佐渡市)の自宅近くで曽我さんと母のミヨシさん=当時(46)=を拉致、近くの海岸で工作船に乗せ、北に連れ去った疑いである。ミヨシさんの行方は分かっていない。 当時は40〜50歳ぐらいで朝鮮労働党の工作機関「対外情報調査部」に所属。 現在は70〜80歳で身長約150センチというが生死の程は分からない。 曽我さんは、新潟県警など警察当局に対してこれまで「後ろから来た3人組の男に拉致された。 船の中で日本語を話すおばさんの声を聞いたが、発音は日本人でないようだった」と実行犯の中に女がいたことを証言。 拉致後、袋から出されて行き先を聞いた際は、「女が『勉強に行くんだ』と答えた」と話していた。 その後、新たに北の施設で数カ月間、キム容疑者と生活していたことを証言、県警は似顔絵を公表した。 また捜査でキム容疑者が日本に滞在していたことがあった事実も判明。犯行時は実行の数週間前に入国したという。 曽我さんは拉致直後から約2年間、横田めぐみさん=同(13)=と同じ招待所で生活した。 原敕晁さん=同(43)=らを拉致した辛光洙(シン・グァンス)容疑者が教育係だった。 辛容疑者は対外情報調査部員だったことから、キム容疑者も同部所属だった疑いが強い。 警察庁の漆間巌長官は2日の会見で「北朝鮮が6カ国協議に復帰する以上、拉致問題を忘れてもらっては困る。日本は忘れてないというシグナルを送りたい」と述べた。 一方、塩崎恭久官房長官は、「すみやかに北朝鮮に身柄の引き渡しを要求する。 今までも(他の拉致事件での容疑者)引き渡しを求めており、1人増える形で要求し続ける」と、今月中にも開催予定の6カ国協議でも容疑者引き渡しを迫る方針を明らかにした。 17−18度C 晴れ 爽やかである 昨夜は衛星テレビで映画「舞姫」を観た。 森鴎外の名作で、篠田正浩監督 郷ひろみ主演の有名な物語を最後ま観てしまった。 したがって今朝は遅く起きて午前中は遅れていた原稿書き。 12時45分 江戸川区俳句連盟の大会に行く(区文化センター) 竹門会長 須田教育委員と同席。小生は挨拶のあと、投句の選考会を聞く。 ふるさとへ今は旅人鳥渡る 遠かわず盆地の闇をふくらます 投網うつ葛西の沖や雲の峰 川岸に乗り捨てられし茄子の馬 炎より生まれて涼よぶ江戸風鈴 もう来ない母の小包小鳥来る 平穏が一番の幸新茶摘む 胃を捨てて授かる命新樹光 葛西沖銀波一条今日の月 佐渡を抱き虹の片足海の中 以上、大会投句の中から。 会を中座して14時 深江氏と案件があって懇談(区文化センター) 15時 江戸川区菊花展に行く(区文化センター前) 多田江戸川区長が来訪して一緒に展示作品を拝見した。 菊花展では優等首席 以下二席 三席 特等一席 二席 三席 一等 二等 三等と風に順次順位を付けるのだそうだ。 16時に終了して16時30分からのKSS会に出る(新小岩) 18時 みどり会に出る(新小岩) 夜はグリジアーノ・マックス「血塗られたグッチ家の伝説」を読む。 書類 手紙 雑誌の整理をする。 ●俳句の会に出たついでに漂白の俳人 種田山頭火の句を選んでみた。 春 ふたたびここに、雑草供へて ふるさとは遠くして木の芽 分け入っても分け入っても青い山 雨ふるふるさとははだしであるく こころすなほに御飯がふいた 春風の鉢の子一つ 笠にぽっとり椿だった ひとりひっそり竹の子竹になる てふてふひらひらいらかをこえた ひらひら蝶はうたへない 春の雪ふる女はまことうつくしい 日ざかりのお地蔵様の顔がにこにこ 空へ若竹のなやみなし ひっそりかんとしてぺんぺん草のはなざかり ころり寝ころべば青空 夏 水に影ある旅人である あるけばかっこういそげばかっこう あざみあざやかなあさのあめあがり 炎天をいただいて乞ひあるく 飲みたい水が音たててゐた 蜘蛛は網張る私は私を肯定する 雷をまぢかに覚めてかしこまる ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない けふはおわかれの糸瓜がぶらり いさましくもかなしくも白い凾 うまれた家はあとかたもないほうたる お骨声なく水の上をゆく わかれてきた道がまっすぐ 月も水底に旅空がある 冬 うしろすがたのしぐれてゆくか まっすぐな道でさみしい 寒い雲がいそぐ 安か安か寒か寒か雪雪 生死の中の雪ふりしきる 砂丘にうづくまりけふも佐渡はみえない 捨てきれない荷物のおもさまへうしろ みんなかへる家はあるゆふべのゆきき ぼろ着て着ぶくれておめでたい顔で 涸れきった川を渡る だまって今日のわらじ履く 雪へ雪ふるしづけさにをる 酒をたべてゐる山は枯れてゐる 焼き捨てて日記の灰のこれだけか 風の明暗を辿る 咳がやまない背中をたたく手がない 秋 さて、どちらへ行かう風が吹く 何を求める風の中ゆく 笠も漏りだしたか ちんぽこもおそそも湧いてあふるる湯 一羽来て啼かない鳥である ほろほろ酔うて木の葉ふる 鴉啼いてわたしも一人 雨だれの音も年とった よい宿でどちらも山で前は酒屋で いつも一人で赤とんぼ 酔へなくなったみじめさはこほろぎがなく うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる すべってころんで山がひっそり 種田山頭火 本名 種田正一(しょういち)。 明治15年(1882年)に山口県防府市の大地主種田竹冶郎の長男として生まれるが、11歳のときに母は井戸に投身自殺し、父は放蕩三昧で妾宅通いと、さんざんな子供時代を過ごす。 当人も大学時代から酒に溺れ、良家の娘の妻(咲野 さきの)を得てからも生活はまったく改まらなかった。 そのうちにこの父子二人はみるみる財産を食いつぶし、なんとか立て直そうと酒蔵を経営するも2年続けて酒を腐らせたことがきっかけでとうとう破産し、一家は離散した。 山頭火は妻子と共に熊本に落ち延び、妻と「我楽多(がらくた)」という古本・額縁屋を開く。 ところがやっぱり帳場には落ちつけず、たびたび酒の上での乱痴気騒ぎを起こし、ついには44歳の時に泥酔の上路面電車の前に立ちはだかるという暴挙に出て、とうとう寺に預けられる身となる。 そこで意を決して出家し、耕畝という名を戴いて僧として味取観音堂の堂守となる。 一時は甲斐甲斐しく掃除などに精を出すが、長くは続かず、妻にも一人息子(健)にも何も言わぬまま、45歳で当てのない托鉢行脚の旅に出てしまった。 その後は約8年間、行乞から得られる米や喜捨銭、木村緑平をはじめとする友からの援助などに支えられながら、西日本を中心としてほぼ日本全国を旅した後、山口は小郡の其中庵(ごちゅうあん)、湯田の風来居(ふうらいきょ)と移り住み、最後は四国松山の一草庵(いっそうあん)で本人の希望通り「ころり往生」した。 享年58歳(昭和15年没)。 托鉢僧のなりはしているものの、時折羽目を外して、ただ酒を飲むは芸者と騒ぐわで、俳句仲間に多大な迷惑をかける、言うなればだらしない男であった。 それなのになぜか多くの人に好かれ金銭の援助もあって、しかもその中で珠玉のような俳句を残した。 彼の俳句は自由律に属し、季語や字数にとらわれない特徴がある。 そしてそこには人間の性(さが)が赤裸々に表れていて日本人の心を捉えて止まない。 ●山頭火の師匠の荻原井泉水の十三句を詠む 力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝 佛を信ず麦の穂の青きしんじつ 空を歩む朗々と月ひとり 石のしたしさよしぐれけり 南無観世音杉間より散るは櫻よ 行く水日永し遠山水いろに暮れていく 水音水棹の石にふれる音の暗く涼しく 灯して灯のうつる水を水上へとる 更けて月はと思う涼しすぎるへさきをめぐらす 今は流れに放ちたる舟の舟灯との棹 山は日を入れて水のひろびろとあるヤナ番 手からはねてヤナにはねる鮎を手にする 闇を一つの灯が鵜のはしに鮎がいる ●韓国の朝鮮日報によると、1980年代、大学在学中に反米青年会の中心メンバーとして活動していたフリーゾーン・ニュースの姜吉模(カン・ギルモ/46)副社長は、「80年代後半に主思派(主体思想派)教育を受け、金日成(キム・イルソン)に忠誠を誓った運動圏(学生運動)の出身者が、現在の政府の中核として活動している」と語った、と報じた。 姜氏は2日の朝鮮日報とのインタビューで「1987年ー89年、延世大学と高麗大学の総学生会幹部出身者の多くが、自分も所属していた組織で主体思想教育を受けたと言ってもいい。 彼らのほとんどが、現政権で中心的な役割を担っている」と明らかにした。 姜氏は自らが教育した代表的な人物として、与党国会議員のN氏など3人やK氏など盧武鉉政権における大統領府の前職、現職の3−4人を挙げた。 最近韓国社会に衝撃を与えている386スパイ事件について、姜氏は「今も主思派思想にのめり込んで“親北反米コード”から抜けられないまま北朝鮮の利益のために忠実に働く“自発的スパイ”が、韓国社会の“主流”になってしまった」と主張した。 |
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