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| 核実験脅しではなく今朝の報 世界揺るがし身体痺れる (10月09日)(祭・月) 昨日に続いて快晴 17−21度C 午前中は原稿と校正。 13時 カメラのコマツバラ 15時 案件があって吉中氏 三田氏と懇談(葛飾区内) 夜は週刊誌 月刊誌 PR誌 単行本 書類 手紙などの整理整頓をした。 ●安倍晋三首相の訪中で、胡錦濤政権は江沢民前政権以来の反日路線から、友好路線へと舵を切った。 中国筋によると、胡政権の過去4年間、対日関係改善の動きは、靖国神社参拝を続けた小泉純一郎前首相に強い反感を持つ江氏の妨害を受けてきたという。 胡氏が江氏の影響力を排除、「未来志向の日中関係」を開くまでには激しい抗争があったようだ。 2002年11月の第16回党大会で、胡氏は総書記を江氏から引き継いだが、江氏は中央軍事委員会主席に留任、政治局常務委員会(9人で構成)も江氏率いる上海閥が5人を占め、江氏は強い発言力を維持した。 その影響を最も受けたのが対日政策だった。 江氏は、全国100カ所以上に抗日戦争記念館を新増設するなど反日を愛国主義運動と党への求心力高揚に利用した。 特に小泉氏が01年8月に靖国神社を初参拝した後は、「靖国」を歴史問題の核心にし、その影響は胡政権の対日外交にも及んだ。 胡氏は、対日関係を重視し、04年には日本を経済発展戦略の主要なパートナーに位置づけたといわれる。 しかし小泉氏の靖国参拝の継続で、改善努力は江氏の干渉を受け続けたという。 05年春、各地で反日デモが発生。胡氏はこれが中国の国際的イメージを傷つけたことに危機感を持ち、ジャカルタでの日中首脳会談で、関係改善を訴えた。 その重要な一歩が同年5月の呉儀副首相訪日だったが、呉氏は小泉氏との会談を突然取り消し帰国した。 中国筋によると、呉氏訪日直後の国会答弁で、小泉氏が靖国参拝継続を表明したことを知った江氏筋からの圧力が原因だった。江氏は既に完全引退していたが、対日政策責任者の唐家セン国務委員を叱責(しっせき)、干渉したという。 これより前、権力構造に重大な変化が起こっていた。04年9月の党中央委員会総会(4中総会)で、江氏は党軍事委主席を辞任したが、この際、長年の江氏腹心だった曽慶紅政治局常務委員が胡氏と手を結び、上海閥は分裂した。 曽氏は05年1月、臨終の趙紫陽氏を見舞い、さらに同年11月には故胡耀邦氏の生誕90周年座談会を主宰した。 趙紫陽、胡耀邦両氏とも江沢民氏が敵視してきた元総書記だ。そして今夏の上海の陳良宇党書記解任。 胡曽連合の狙いは江氏の政治基盤切り崩しにあったという。 胡、曽両氏は、格差が拡大、腐敗が蔓延(まんえん)する現状への危機感を共有。 8日開幕した6中総会では、和諧(調和のとれた)社会建設方針が採択されるが、それには、資金と技術面で日本の協力が必要との認識でも両氏は共通している。 「靖国」を棚上げした形での日中友好関係の先行きは、胡政権が国内の反日感情を制御できるかにかかっていると北京発の産経新聞が報じている。 セン=王ヘンに旋 ●これに対して、今日の朝日新聞は安倍政権の方向性について次のように論評している。 安倍首相は日中首脳会談を実現させ、アジア外交の最初の関門を越えた。 「ポスト小泉」の最大の懸案がアジア外交の改善だっただけに、中韓訪問の実現自体が、政権基盤の安定につながるとの見方が政府・与党内には強い。 ただ、首脳会談を実現するため、首相は歴史認識などで持論を無理に封じてきており、火種は残されたままだ。 「これで民主党が最も批判してきた問題はなくなった」。首相周辺は中韓両国との首脳会談がセットで実現したことに、安堵(あんど)の表情を見せた。 「選挙の顔」として自民党内で圧倒的な支持を集めた首相にとって、最初の試金石は10日告示の衆院統一補選だ。 前政権の「負の遺産」である中韓両国との冷え切った関係を改善し、補選を乗り切って、政権を安定軌道に乗せる――。 首相が描くそんな戦略を実現するには、野党側の攻撃材料を少しでも減らすことが不可欠だった。 自民党の中川秀直幹事長は6日の記者会見で「野党もアジア重視と言っている。 日本の国益を考えれば、日中、日韓首脳会談の実現に異論はないはずだ」と語った。 首相も首脳会談を控え、自らの持論の修正に力を入れた。臨時国会の論戦では、抵抗してきた「河野官房長官談話」や「村山首相談話」を踏襲することを明言した。 日中首脳会談について野党側は「歓迎する。両国の友好関係を前進させる転機となるよう期待する」(志位共産党委員長)と支持した。 ただ、一方で攻め口を失った苦しさもにじむ。民主党からは「首相にはもっと『右』に行って欲しい。民主党が保守中間層を取り込めなくなる」(幹部)との声も出ている。 ただ、中韓両首脳との会談の実現で、首相は新たな不安要因も抱え込んだとも言える。 首相の政治理念は日本の主体性をより重視する「主張する外交」や、戦後の政治体制の在り方を見直す「戦後レジーム(体制)からの脱却」だ。 それだけに首相の「穏健化」の動きに、旧来の支持層である右派からの反発も出始めている。 最初の訪問国を中国としたことに「結局、朝貢外交と言われかねない」(周辺)という懸念もある。 首相のブレーンの一人は国会答弁を聞いて「ベタ降りだ。そこまで言わなくていいだろう」といら立ちを募らせた。 さらに、中国側が首脳会談で靖国問題を念頭に「政治的障害を除去して欲しい」と、参拝の自粛を求めた。首相は今後も靖国問題を問われ続けることになる。 今回の中韓訪問について首相周辺は「参拝するかしないかは言わないという線を保ちつつ、最大の譲歩をした。大きなリスクを背負った」と認める。 政権安定のために選んだ「持論の封印」という手法が、いずれ裏目に出る可能性もあると報じている。 ●北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の妹(キム・キョンヒ)の夫、張成沢(チャン・ソンテク)労働党勤労団体および首都建設部第1副部長が、先月末ごろ平壌市内で昼間に交通事故を起こしていたとの情報が入り、現在確認中であることを韓国政府当局者が8日明らかにした、と韓国の朝鮮日報が報じている。 当局が入手した情報によると、事故は平壌牡丹峰区域にある人民軍巧芸劇場前の交差点付近で発生し、張副部長のベンツS600に北朝鮮軍の外貨獲得機関の貨物車が追突した、という。 張副部長の命に別状はないものの、同副部長は腰に大きな負傷を負ったほか、乗用車も大破したという。 張副部長は、今年3月と8−9月にかけてそれぞれ中国を訪問し経済視察を行ったほか、02年には北朝鮮経済使節団の一員として韓国を訪問した経歴もあり、経済専門家として知られている。 その後、04年初めに金総書記の後継争いと関連し「左遷」されたものの、今年に入り復帰していた。 張副部長は金容淳(キム・ヨンスン)秘書が死亡したことで、南北関係に関与するようになったという見方も出されている。 情報によると、事故原因は明らかではなく、事故現場が女性交通保安員が交通整理を行っている場所であることから、権力争いに関連した疑問死とのうわさも広がっている。 特に張副部長は、北朝鮮に市場経済を導入する役割を果たした第一人者で、金総書記の後継者という話まで持ち上がるほどの実力者といった点などから、陰謀説が拡散する可能性がある、と政府当局者は見ている。 これについて、ある当局者は「いまのところ、事実確認は難しい」としながらも、「北朝鮮で最高位クラスの権力者が交通事故を起こすというのはあり得ないことで、万が一情報が事実なら、権力争い説が有力視される可能性があるといえる」と話している。 一方、張副部長の一人娘クムソンさんは今年8月、フランス・パリでの留学中に本国召還命令を受け、悩んだ揚げ句、飲酒後に睡眠薬を大量に服用し、死亡している。 |
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