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パリ競馬ちからの差あり三着に ディープに世界の壁は大きく (10月01日)(日)

 パリ発産経新聞によると、スペイン王室がレティシア皇太子妃の妊娠を発表したことで、同国でも王位継承問題が浮上しているという。

 皇太子妃は昨年10月に長女のレオノール王女を出産したが、スペイン憲法は王位継承を第一子ではなく「男子優先」と規定している。

 現在、レオノール王女の王位継承順位はフェリペ皇太子に次いで2位だが、もし、弟が生まれたら、継承順位で弟が追い抜くことになる。

 

 レオノール王女が王位につくのは弟がいない場合に限られる。

 スペインは1931年に王制を廃止して共和国になったがスペイン内戦を経てフランコの独裁政権、そしてフランコ死去にともない1975年に王制が復活した。

 こうした歴史的背景もあり、1978年に制定された民主憲法も男子優先と規定された。

 

 しかし、欧州の他の立憲君主制の国の中では王位継承は第一子と規定しているところも多く、たとえば、オランダではベアトリックス女王が国家元首となっている。

 スペインでもレオノール王女の誕生前後から、王位継承を第一子とするようにとの憲法改正論議が盛んになった。

 2004年に誕生した社会労働党のサパテロ政権も、男女平等を基本に王位継承問題に関する憲法改正を優先課題の一つにあげている。

 

 国民の支持も高いが、憲法改正には上院で与党である中道右派政党・国民党の協力が不可欠のため、時間がかかりそうだ。

 同国の女王は19世紀のイサベル2世(1833〜68年)までさかのぼる。

 レティシア皇太子妃はテレビキャスター出身で離婚歴があるため、04年5月に結婚した際は話題を呼んだ。

 

 9時 案件があって木田氏と要談 12時 銀座に行く ダロワイヨへ行く 紅茶を購入 モルチエで昼食

 午後 雑誌 手紙 書類 単行本などの整理をした。 17時 案件があって溝口氏 佐伯氏 蓑原氏と要談(区内)

 19時に終了解散した。夜はアルフォンス・パイン「料理の天国」を読む。

 

 

●41年間、日本の空で活躍したYS11。鹿児島空港で30日、最後の飛行を出迎えた関係者の中に元テストパイロット、沼口正彦さん(76)=福岡市南区=がいた。

 1962年、日本航空機製造(日航製)に参加したパイロット4人の最年少。

 「長い間、本当にご苦労さん」と、自らが育てた「日本の翼」を見つめた。

 

 戦前の「零(ゼロ)戦」の設計者らが基本設計した試作機はさまざまな技術的課題を抱えていた。

 特に悪かった安定性は、主翼の付け根にくさびを入れ、反り(上半角)を増して解決した。

 「運動性重視だった。旅客機は空中戦などしないのに」。利きの悪い舵(かじ)など大規模な設計変更をしたため開発は遅れたが「皆、熱意があった」と振り返る。

 

 定期路線就航は65年。日本国内航空など3社が導入したが、雨漏りなど評判はさんざんだった。

 「試作機は晴れの日だけ飛び、後は格納庫で保管していた。大事にしすぎて欠点が分からなかった」と苦笑い。

 翌年、米国デモツアーで操縦桿(かん)を握った。北米を横断したが、管制官が無線で「速度はどのくらい?」などと興味深そうに聞いてきた時は誇らしかった。

 

 YS11は十数カ国に売れた。だが、メーカー寄せ集めの日航製の高コスト体質などが響き、多額の赤字を抱え、政府が71年、量産中止を決め、後継機開発も消えた。沼口さんは東亜国内航空に移り、JACで辞めるまでYS11の機長を務めた。

 「最大の人力飛行機」。沼口さんは自動操縦装置もないYS11をこう評する。

 操舵(そうだ)は油圧を使わず、操縦桿とワイヤで直接つながっていて、操縦する感覚が好きだった。

 不満はパワー不足。総ジュラルミン製の機体は頑丈だが、エンジンに対しては重すぎた。

 

 「でも思い切り飛べないから、長持ちしたんだ」と目を細めた。

 後継機開発が途絶えたことが最も悔やまれる。開発が続いていれば、とっくに日本の空を飛んでいるからだ。

 そしてこうつぶやいた。「もっと早く退役させたかった」。

 

●今朝の朝日新聞が伝えている。秋田県藤里町の連続児童殺害事件で、畠山鈴香被告(33)=殺人罪などで起訴=が長女彩香さん(当時9)を殺害したとされる4月9日の直前、入院中だった畠山被告の父親が、他の患者との間でトラブルとなり、ハサミを持ち出す騒ぎを起こしていたことがわかったという。

 捜査当局は、子育てや経済的な困窮などでストレスを抱えていた畠山被告が、父親のトラブルでフラストレーションを一気に高めたとみている。

 

 彩香さん殺害の直接の動機について、畠山被告は捜査段階で、彩香さんに求められて近くの川に魚を見に行ったが、見えないことに彩香さんが「だだをこねた」ことから衝動的に殺害したと供述。

 しかし、殺害理由としては弱く、捜査当局は何らかの背景事情があったとみて調べていた。

 畠山被告の父親は、脳梗塞(こうそく)のために05年に倒れて県北部の病院でリハビリを続けていた。

 

 関係者によると、父親は4月7日、病院内で、ほかの患者との間でトラブルとなり、相手に向けてハサミを振り回そうとしたという。

 翌8日、畠山被告が病院を訪れた際、病院側から「(畠山被告の父親の)面倒を見切れない」という趣旨のことを言われたという。

 

 畠山被告は03年に自己破産し、生活保護の受給に加え、実家からも金銭的な支援を受けていた。

 しかし、父親が倒れたため、援助を受けられなくなり、経済的に追いつめられていた。

 また、地元住民の話では、畠山被告は、父親の介護の手伝いもしていて、介護疲れも見られたという。

 

 捜査当局は、畠山被告が彩香さんをネグレクト(育児放棄)するなど、もともと子どもに対して激しい嫌悪感を抱いていた点も重視している。

 畠山被告は母親らの手助けを受けて子育てをしていたが、父親の入院のために、彩香さんの子育ての負担が被告1人にかかるようになったという。

 

 起訴状によると、畠山被告は4月9日午後6時45分ごろ、軽乗用車で彩香さんを連れて行き、大沢橋の欄干に乗せ、体を押して約8メートル下の藤琴川に落とし、水死させたとされる。

 また、畠山被告は、彩香さん殺害から約1カ月後の5月17日午後3時半ごろ、自宅玄関で、米山豪憲君(当時7)の首に着物の腰ひもを巻き付けて絞め、窒息死させた後、遺体を能代市二ツ井町の米代川岸に遺棄したとして、殺人と死体遺棄の罪でも起訴されている。




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