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凍りつくビールを飲て込み上げる ノートルダムのイヴの思い出(12月24日)(土)

 クリスマス・イヴになると、私は、1966年のパリのノートルダム寺院のイヴを思い出す。

 午後10時頃、私は友人と徒歩で寺院まで行った。私は、カルチェラタンのパンテオンの傍に住んでいたので、歩いて13−15分くらいで行けたのである。

 ノートルダム寺院の正面から大広間に入ると、我々は、なるべく前の方に行って、開会をかなりの時間待った。

 

 11時を過ぎた頃、ミサが始まった。賛美歌が何曲か演奏されて、聖歌隊に合わせて皆が歌った。

 次に生まれたばかりの幼児の生誕式が始まり、12時になると、鐘が大音響で鳴りだした。

 また聖歌隊の合唱がおこなわれてだんだんと厳粛な雰囲気になってきた。

 大司教が出てきて、クリスマス・イヴのミサが始まった。

 

 ミサは30分くらい続いた。そしてそれが終わると、パリ大司教の説教が始まった。

 私は足の先から厳しい底冷えする寒さが身体全体に伝わって来た。

 ぶるぶると震えがこみ上げた。大司教の長々とした演説はお構えなく続いていた。

 当時は、ソ連のフルシチョフが東西ベルリンに壁を作った年であった。

 

 パリ大司教が「ソ連のやり方は悪だ。われわれは、ソ連を打倒しなければならない。

 ソ連の共産主義は敵だ。悪魔だ。やっつけろ!!」と言うようなことを言って攻撃するのである。

 随分と攻撃的なことを言うものだと思って聞いていたが、とにかく寒かった。

 1時間くらいの説教が終わって、ほっととした。

 

 終わって群集と一緒にぞろぞろと寺院の正面から外へ出たら、寒風が吹いていて、今にも雪が降って来るだろうかと思われる天気だった。

 セーヌ川の橋を渡って、夜通し開いている傍のカフェに入った。

 生ビールを貰ったら、表面が氷っていた。私にとっては、忘れられないイヴの夜であった。

 

 晴れのち曇り 0−8度C 9時 市川さんのところへ行って、診断書を書いていただいた。

 歯医者さんが麻酔注射を打つので、医師の診断書が必要だということであったからである。

 帰りにスーパーと河内屋に寄って年末の必要品の仕入れをした。

 架電、来電が数件あった。午後は、家の中の諸々の整理と掃除、整頓を始めたが、少しも進まないで夕方になってしまった。

 歌集の校正も残っているので、ちらりと見る程度に行なう。

 

 日本人がキリスト者でもないのに、クリスマスを盛んに祝うのは、敗戦後にアメリカ文化が大量に入り込んで来て、これに旨くデパートや商店などの業者が便乗してクリスマス文化をはやらせたからである。

 戦後の日本には、アメリカから様々な文化がドットやって来たけれども、クリスマス・イヴの騒ぎなどはその最たるものだと思う。

 クリスマスと言う、宴会を開いて、酒やケーキや鶏肉を食べて、送りものを形式だけは、日本人の文化に良く迎合した。

 

 しかし、肝心のキリスト教は、日本人には、合わなかったらしくて、信者はけして増えなかった。

 やはり、日本人は仏教徒であって、キリスト教は合ってはいなかった。

 夜は「プレジデント」「創」「週刊金曜日」「セヴン」「グラン」「週刊新潮」「てんとう虫」「シグニャチュール」などの溜まっている雑誌類を見た。

 放って置くと、1週間でダンボール箱2個位の雑誌、手紙、書類が溜まる。

 伊藤千尋「君の星は輝いているか」を読んだ。


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