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| 古代史の夢膨らませし飛鳥宮 蘇我入鹿邸跡発見 (11月15日)(火) 中大兄皇子(天智天皇)は、645年、「大化の改新」と称して、当時の最大権力者、蘇我入鹿親子らを殺した。 「日本書紀」には、644年11月に、「蘇我大臣蝦夷とその子入鹿は、家を甘樫丘に並べて建てる。 大臣の家は上の宮門、入鹿の家は谷の宮門という」と言う記述がある。 翌、645年5月に中大兄皇子らの手で入鹿が暗殺されて、蝦夷は、自宅と入鹿邸に火を放って自殺したと書かれている。 飛鳥時代の最有力政治家であった蘇我一族は、入鹿の曽祖父、稲目の時代に突然歴史上に登場した。 天皇家と政略結婚を通じて、稲目、馬子、蝦夷、入鹿の4代にわたって、国政を担当して来た。 聖徳太子の兄、山背大兄王らと政治的な衝突をして、王を自殺に追い込むなど、専制ぶりが糾弾されていた。 645年、中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足らは、彼らを打倒するすることにして、一族をおびき寄せて暗殺した。 これまで蘇我氏は反皇族の象徴であって、崇峻天皇や聖徳太子一族を殺害したと言うことで、稀代の悪徳専制君主として伝えられていたけれども、近年では、発掘調査によって、村内各地に点在する蘇我氏の足跡が、次々に明らかにされている。 これに伴って、蘇我氏に関する「闇の部分」が少しづつ明らかになって来ているようだ。 昨年3月には、蘇我馬子の邸宅の一部と見られる建物跡が見つかった。 これは、天皇家の建物をしのぐような広大な敷地であって、蘇我氏の勢力が推測以上に大きかったと考えられている。 蘇我氏の権勢がこれまでの歴史上の推測よりも遥かに大きくて、国への貢献も具体的に大きかっただろうことが、証明されつつある。 この明日香村の、歴史的な場所が続々と発掘されて科学的なメスが入れられていつつあると言うことで、日本人の世間度の注目は更に広がって、何処の新聞も一面を飾るにふさわしい局面になっていると言えよう。 「大化の改新」と呼ばれているものは、日本歴史上の大事件であるが、もしこの跡が「谷の宮門」と呼ばれる入鹿の邸宅跡だとすると、古代史上の特記すべき発見となり、明日香村に眠っている日本の古代史の一端が、今、21世紀の今日に鮮やかに読蘇えろうとしているのである。 10-16度C 曇り 8時45分 トーヨー 9時 区へ 9時30分 小松川三中へ監査に行った。 12時30分 松崎さん来訪 13時15分 小岩一中へ監査に行った。 15時 帰庁 16時30分 退庁 夜は、原稿書き。テレビ。雑誌、週刊誌、手紙、書類など整理をする。 |
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