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| 荒野より生れ出たるイスラム教 生存賭けし闘い厳し (11月14日)(月) 旧約聖書はユダヤ民族の為にかかれたものである。現在のユダヤ教でも絶対視されている聖典である。 その「ユダヤ教の聖典」を何故、キリスト教や、イスラム教が重要な聖典として取り入れているのか? じつはここに、世界三大宗教と言われているユダヤ教、キリスト教、イスラム教の秘密があると思う。 その理由は、この「旧約聖書」内の「神」を「唯一絶対の神」と崇めることによって成り立っている、当時の「新興宗教」だったからである。 この三つの宗教は、「旧約聖書」の「唯一絶対神」を信仰して、結果的には西洋文明を支配することに成功したのである。 「キリスト教」は、「イエスの死」を持って始まる。死後弟子たちが広くギリシャ、ローマまで広めた。 イエス自身は元々「ユダヤ教徒」であった。「旧約聖書」の中の「神」を崇拝して、自ら唯一絶対の神「エホバ」の子を名乗った。 旧約聖書プラス「新約聖書」がイエスの後継者たちの聖典になって普及して行った。 ユダヤ教の反逆児だったイエスをユダヤ教徒は、21世紀の今日でも認めていない。 しかし、旧約聖書プラス「タルムード」がユダヤ教徒の聖典になっている。 イスラム教はイエスに遥かに600年も遅れて、ムハンマドによって興された。 いまさら「旧約聖書」でもないと思われるけれども、マホメットの「預言」が、その根幹をなす宗教であって、その「預言」は、ほかならぬ「旧約聖書」の中の「唯一絶対神」であるだ。 ムハンマドは、イエスとは違って「神の子」とは名乗らなかった。 彼は、「人間の子」にして「神の言葉を預った者、託された者」である以上、「旧約聖書」を聖典とせざるを得なかったのである。 絶対神である、「エホバ」も「ヤハウェ」も「アッラー」もじつは皆同じで「神」なのである。 いずれにせよこの「唯一絶対の神」はこの地球上の万物の創造者であって、「宇宙」を支配する目には見えない、絵にも描けない壮大にして不可視の絶対者と言うことになっている。 ギリシャ、ローマ、そして我々日本の八百万の神様達とは少し違うのである。 八百万の神様たちは、皆、豊かな自然の中で、水と緑の実りの中で育ってきたと言う環境がある。 これは、ギリシャもローマ神話も、我々の神話も同じである。 これらに対して、「旧約聖書」を良く読んでご覧なさい。「旧約聖書」の中の神は、不毛の地の天空にそびえる。 見渡せば、一面の荒野であり、地は乾き、緑は乏しく、風は吹き荒れていて、およそ神神が集まりそうな雰囲気とは遠い。 これでは、たった一人の絶対的な権力を持った神様でないと到底支配出来ない環境であって、これらの荒地から豊かな土地に導いてくれるような、強力な神様でなければ、やってはいけない。 彼等に神は、慈悲深さなどは通用しない、独裁者であり、一方的な支配者であり、強い大王でなければ、ならないのである。 ユダヤ民族に「乳と蜜の溢れる土地」を「約束の地」としているのは、その舞台が荒野とサバクと一切不毛の土地であるからである。 日本人は、自然を心から愛する、温厚でおとなしい豊かな感情を持った繊細な神経の良く行き渡っている国民性であるけれども、荒野で育った「ユダヤ民族」「キリスト教徒」「イスラム教徒」たちの荒っぽさと神経の太さは、到底理解できないかも知れない。 昨日も一昨日も、イスラム教原理主義の若者たちが、キリスト教徒に対して「聖戦」と称して、自爆テロを仕掛けて多くの人を殺している。 我々八百万を信ずる温厚な日本人には、彼等の行動はさっぱり不可解であって、理解できないものである。 11-16度C 肌寒い 8時 案件があって吉田氏と要談(自宅) 8時45分 トーヨーで打ち合わせする 8時50分 区へ 9時30分 南葛西中へ行政監査に行く。 11時30分 帰庁 川野さんが来訪。 13時15分に鹿骨中へ監査に行く。 15時15分 帰庁 15時30分 退庁 16時 関根氏と案件があって要談 夜は、ジョルジュ・ギュボア「ルネッサンス以降のイタリア史」を読む。 |
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