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| 十年の苦節の後にプロ棋士に 合格さぞや嬉しかろうに (11月08日)(火) 人間にはそれぞれの道がある。それを天職とも言う。道は道なりで、人生の歩みと共に全てを自分自身で切り拓いて行くものである。 孤独な世界であるが、将棋のプロになるには、奨励会と言う制度があって、26歳までに4段にならないとプロにはなれないと言う決まりがある。 会社員の瀬川晶司氏(35)は、奨励会で3段にまでなっていたが、年齢制限があって、26歳定年で退会して、諦めて、会社員になっていた。 しかし、彼はその後アマチュアの全国大会で優勝するなどして、アマの参加資格のあるプロ公式戦でも17勝7敗と言う立派な成績を残した。 そこで、このたび,日本将棋連盟が特例として、プロの第一線棋士6人と対戦して3勝以上すれば、プロへの道が開けると言うことを決めて、昨日、プロの高野5段に勝ったので、遂にプロ棋士になった。 奨励会を経ないで,日本将棋連盟の正棋士になったのは、昭和19年に連盟入りした「東海の鬼」と言われた、強豪、花田9段以来であると言う。 米長連盟会長も「将棋を知らない人も、瀬川君に関心を寄せてくれた。 瀬川新4段には、さらなる夢を実現して貰いたい」をエールを送っている。 ペルーのフジモリ元大統領が、チリのサンチャゴで逮捕された。 日本に、00年11月以降亡命していたフジモリ氏が、大統領への復帰を狙って、ペルーへの帰国寸前に隣国のサンチャゴのホテルで拘束された。 トレド現ペルー大統領は、フジモリ氏の逮捕命令を出しているし、ペルー国会からも、フジモリ氏の大統領在任中のいくつかの殺人事件で刑事告訴されているから、もし、チリからペルーに送還されれば、死刑になる可能性もある。 フジモリ氏は02年に、すでに事実上の大統領選出馬を宣言していて,ここで、最後の「賭け」をしたものだが、今後政治活動が順調に上手く行くのかどうなのか,まったく分からない。 フジモリ氏は、日系人で日本国籍を持つ。日系人としては初めて1990年6月にペルー大統領に当選、就任した。 96年12月,日本大使館占拠事件が起きて、救出された多くの日本人からは大変に感謝されて英雄になった。 00年5月に大統領に3選。ところが、9月には、大統領顧問の、野党議員買収事件が発覚してついに退陣した。 11月には訪日、事実上の日本での亡命生活を送っていた。 01年2月、ペルー国会がフジモリ氏の10年間の公職追放を決定して、6月にはトレド新大統領が当選した。 9月、検察当局が殺人罪で告発した。10月、日本政府に対してトレド現大統領が、フジモリ氏の身柄引きしを要求した。 02年11月 フジモリ氏は、事実上の大統領戦出馬を宣言したが、03年3月 国際刑事警察機構が国際手配した。 05年11月 大統領選挙のフジモリ氏の支持母体となる政党母体の結成届を、東京のペルー総領事館へ提出した。 風雲児フジモリ氏の運命を、多くの日本人も関心を持って見守っている所である。 晴 12-18度C 8時30分 トーヨー 8時50分 江戸川区監査委員室へ行く。 打ち合わせ 架電 来電。 9時30分 小岩五中へ行政監査に行く 11時 帰庁 13時15分 篠崎二中へ行政監査に行った。 16時 退庁 16時30分 田代文化センター次長が来訪(自宅) 山口氏が来訪(自宅)案件の打ち合わせと要談をした。 夜は、歌人 尾崎左永子「新訳 古事記」(神と歌の物語)を読んだ。 雑誌、週刊誌、手紙、書類などの整理をした。 |
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