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テロ貧困核食糧とエネルギー 重き課題を政治は抱えつ (10月02日)(日)

インドネシアのバリ島のジンバラン海岸でテロがあって、26人以上が死んで、100人以上が負傷した。
 バリ島はデンパサールが首都で、サヌールと言う東海岸が有名であるが、クタ地域は西海岸である。
 バリ島は、一年中、いつも暑くて観光地として世界的に有名であり,日本人も沢山観光に行く。
 
 クタ地域では、02年10月に爆弾テロがあって、ディスコの観光客など200人以上が死亡した。
 インドネシアは、03年8月にも、首都ジャカルタで、米国系のホテルで、04年にもオーストラリア大使館前で爆弾テロがあって、20人以上が亡くなっている。
 東南アジアを中心に活動しているイスラム原理主義勢力のジャマー・イスラミア(JI)が犯行声明を出しているが、今回もイスラム原理主義者の犯行の可能性が強いと言われている。
 
 晴れのち曇り 20−30度 いやに蒸し暑い 午前中 手紙、原稿整理。
 13時 トーヨーへ行って、パソコンを使って作業をした。自宅にもパソコンは置いてあるが、プリンターの性能が、事務所の方がずっと良い。
 17時まで作業をした。雲見さんと出会ったので言葉を交わした。何年ぶりのことか。
 毎日が非常に忙しい。自分で忙しくしていることもある。「暇な時間」と言うものが、小生には全然無いと言っても良い。
 起きていれば、必ず何かをやっている。どうしてそういうことになるのか良く分からないけれども、何かの作業をしている。
 
 夜は、新藤宗幸「政治とは、なんだろうか」 モルガン・スポルテス「ゾルゲ」を読む。
 
 ここで、「カレント」〇五・一〇月号を掲載する。
 
「カレント」〇五・一〇月号   小久保晴行のズームアップ東西18
サンフランシスコ暁光(三)
 
◎ 中華街四世時代へ若返り 高学歴の新人類に
 
 中国大陸から最初の移民が来た十九世紀前半、サンフランシスコには小さな中国人コミュニティがあるに過ぎなかった。
 しかし、カリフォルニアで金鉱が見つかりゴールドラッシュになり、多くの中国人が広東からアヘン戦争を逃れてどっと渡って来た。
 「一八五〇年までに、約四千人が中国大陸からやって来て、炭鉱夫や、大陸横断道路の工事夫、ナパヴァレイの葡萄園造り、荒地の開墾夫などの仕事に従事していました。
 一八八〇年代は、ゴールドラッシュも終わって仕事不足になると、従順で働き者の中国人労働者はアメリカ社会に歓迎されました。
ところが、これが白人労働者には脅威になり、偏見や妬みなどが加わって、蔑視と排斥の対象になったのです。
 一八八二年に、中国人排斥法が出来て、移住可能なのは、商人だけに限られ、一九二四年には、中国人移民禁止法が出来たのです。
 また、一九二〇年代には、地域のボス化した一部の中国人と中国人ギャングが手を結んで、チャイナタウンを牛耳るようになったのです。いわば、チャイナタウンの暗黒時代です」と話してくれたのは、中国系経済ジャーナリストのジョージ・リー(五五)氏である。
 「第二次世界大戦になると、今度は全米で排日運動が起き、反日戦争中の中国大陸から来た中国人は、『友好人士』と言うことで、優先的に市民権を取得出来るようになりました。
 五〇年代になると、中国の共産革命の影響で、膨大な中国人移民がサンフランシスコへ流入して来ました。
 六〇年代にには、チャイナタウンは、一躍、全米の観光のメッカになり、六五年以降には、香港、ベトナム、カンボジャ、韓国などからの移民がチャイナタウンと、その周りに住みついて、人口が急増しました」
 現在、北米最大と言われるチャイナタウンは、サンフランシスコ市内でも、大きな位置を占めている。
  八?九万人の中国系住民は、サンフランシスコ全体の人口の一〇%以上である。
アメリカで生まれ育った中国人は、ABC(American born Chinese)と呼ばれている。
 中華街は、赤、緑、オレンジ、黄色などの強烈な色彩と、ぎっしりと中身の詰まった密度の濃い中国系の雰囲気が売り物である。
 グラント通りを中心にして、土産物屋、レストラン、日常品店、ブティック、肉屋、薬草店、茶屋、小物などの雑貨店、金工芸品店、宝石店などが軒を並べている。
 現在、中華街は、観光化されて観光用のレストランや、ギフトショップばかりが多くて、どちらかと言うといくらか寂れた感じがする。
 中国人の海外華僑は、どこへ移民しても、文字通り、徒手空拳、裸一貫から財産を築き挙げた商売第一の商人たちである。
 現在すでに、サンフランシスコの華僑達も、初代移民から数えて、三世、四世、五世の世代になっている。
 そして、彼らの中には、高学歴で教養もあり、資本もある若い華僑たちが、香港、台湾、タイ、フィリピン、中国大陸などからやって来て、チャイナタウン地域に限らず、市の郊外や、カリフォルニア州の全体に、広範囲に点在して勢力を広げている。
 二十世紀後半に到って、海外華僑達の出身と種類が完全に変わりつつあるのだ。
 
◎ 全米のIT産業発祥の シリコンヴァレー蒼空深し
 
 サンフランシスコから三〇マイル南へ行くと、スタンフォードである。まぶしい太陽が降り注ぎパームツリーの街路樹が並ぶ町に、東部のハーバートと並び称されるスタンフォード大学がある。
 広大なキャンバス内には、ロマネスク様式の建物が緑の中に点在していて、ノーベル賞受賞者が多数輩出した世界的頭脳を発掘した。  
商業都市のサンフランシスコから来ると大いに異なった雰囲気になる。
 特に大学の中心のスタンフォード・メモリアル教会は、創立者の記念館で、モザイク壁画とステンドグラスが美しい。
 東側には八十七メートルのランドマーク塔があって、これは、第三十一代フーバー大統領が、設立したと言う。
 傍のロダン彫刻庭園には、ロダンの「地獄門」「考える人」などが、陳列されている。
 噴水庭園の椅子に座っていたら、日本人女学生が声をかけて来た。
福岡から来ている工学部学生だそうだが、サンノゼに帰ると言うので同行した。
 シリコンヴァレーの中心地サンノゼまでは、スタンフォードから三〇分ほどである。
 カリフォルニア州の州都が置かれていたサンノゼは、日本からの直行便国際空港もある。
 いまやITの情報発信の基地として、全米一である。取り敢えず観光スポットを一回りしてもらった。
シリコンヴァレーの最先端の頭脳を結集したテック博物館。みどりの公園の中に立つチルドレンズ・ディスカバリー博物館。
 モダンアート収集のサンノゼ美術館。パッカード社発祥の地、デビッド・パッカードガレージ。
 世界に親しまれている『マック』アップルコンピュータ・ストア。
 チップメーカーのインテル博物館。ミステリー博物館の銃製造のウインチェスター・ミステリー・ハウス。
 おしゃれなショッピングストア、サンタナロウ。北カリフォルニア最大のテーマパーク、グレイト・アメリカなどである。とても回りきれないで三日掛かりになった。
 日系コミュニティの中心のジャクソンSTの日本人街で、手作りの和菓子や味噌や豆腐や日本酒を売っている店が並んでいて、日本の文化がカリフォルニアのアメリカ社会に完全に定着していることが良く分かった。
 一九六〇年に小さな規模で始まったサンノゼ・フリーマーケットに行ったら、二七〇〇にも及ぶ全米でも最大の野外市場で、改めてカリフォルニアは大きいなと感じ入った次第である。
 電子機器には無知な人間には、シリコンバレーの感想は、「何だか分からないが、偉大な先端技術の町だなあ」と言うことだけだった。
(この項終り)

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