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| サプライズ思わぬ展開目くらまし ポスト小泉は小泉一人に (09月05日)(月) 星野仙一氏が現在どん底の巨人の次期監督になるのか、ならないのか、マスコミの大きな話題になっている。 阪神を優勝させてから、体調を壊していったんは引退してたが、阪神のオーナー付きディレクターになっているが、一般の人気は異常なくらいある。 しかし、元巨人の広岡達朗氏は、「星野さんには、理論はなくて、根性論ばかりである。 そもそも巨人は、これまで、OBが監督をして来て、日本の野球界をリードしてきたのだから、当然、OBの中から次期監督も選ぶべきです。 星野さんの資質以前の問題ではないでしょうか? 巨人の失地回復は巨人出身のOBでやらないといけない」と話している。 堀内氏も巨人OBだったけれども 、失敗した。原、江川、中畑、香取その他、巨人には人材が多いはずだが、こういう状態になってくると、案外適格者がいないものだと思う。 総選挙のあと、もし小泉続投が決まっても、来年9月の自民党総裁の任期いっぱいでやめると、小泉さんは明言している。 しかし、安部晋三氏を初めとして 、福田、麻生、谷垣氏らが小泉以降の候補者に取りざたされているけれども、案外、これ以外の人が急上昇して 、総理になるかも知れない。 先のことは 、分からないのが人生である。 小雨のち曇り 22−29度C 8時30分 トーヨー 8時45分 江戸川区役所監査委員室 9時 福祉部障害者福祉課鈴木課長の説明 9時30分 第二エルム作業所の行政監査 10時30分 NPO法人むくの行政監査 11時30分 監査委員協議会 14時 退庁 15時 案件があって水野氏と要談(新小岩) 一時雨が強くなってきた 17時 吉田氏と案件があって要談(有楽町・どんべい) ここで、月刊「カレント」9月号に掲載の小久保晴行の「ズームアップ東西」17 サンフラシスコ暁光(二)を再録する。 「カレント」〇五年〇九月号 小久保晴行の『ズームアップ東西』17 サンフランシスコ暁光(二) ◎ 暁の幽玄の中風薫る シスコの坂の深紅に変わる 早暁私はサンフランシスコのプレシディオに近いマリーナへ行って見た。 金門橋の向こうから暁の光が昇ってくる光景は、息を呑む美しさであった。 世界には港の面した美しい都市が沢山ある。手近かな所でも、神戸、横浜、香港、シンガポール、マニラ、シドニーなどだ。 しかし米西海岸のサンフランシスコのように、単に美しいだけでなく、気候が温暖で、国際色豊かで、あらゆる点で生活力に溢れた都市美を私は他に知らない。 サンフランシスコは丘と坂の町である。坂は急で、町の独特な風景を型作っている。 穏やかな気候のもとで、シスコでは、生活文化の異なる人々が他人に変化を強いることなく、隣り合って生きている。 シスコは太平洋、金門湾、サンフランシスコ湾の三方に囲まれている。 私も、もしアメリカに住むことになれば、このシスコしかないと考えている。 面積は一二一平方キロで、ニューヨークのマンハッタン島と同じであり、ゴールデン・ステイトと呼ばれているカリフォルニア州の中心である。 米国東部から、大陸を横断してはるばるやって来た入植者たちがこのサンフランシスコの風景を眺めて、どんな印象を持ったのかは想像に難くない。 彼らは、おそらく「エデンの園」みたいに感じたに違いない。 元々、この地には、ポモ族、ウインタム族、ヨークツ族などの先住民が住んでいた。 最初に来た白人はスペイン人だった。彼らは後から来た英国人の進出を危うんで、スペイン人は、カリフォリニア北部を含む米国西部を、一七七六年に、スペイン領に編入、サンフランシスコに中心居留地を置いた。 周囲にハッカが密集し生息していたので、スペイン語で「イエルバブナ」と言う。 「ドロレス」と言うカソリック伝道教会と、港口を防御する「プレシディオ」と言う砦も作られた。 しかし、スペインはすでに衰退期に入っていて、メキシコが、一八二一年にスペイン領からの独立を宣言した。 四六年には、アメリカ海軍の帆船ポーツマスが、砦とイエルバブエナを占領したので、米国とメキシコとの戦争が始まった。 そして二年後には、カリフォリニア全体がメキシコから米国領土になったのである。 ジェームス・マーシムャルがサッターミルで金を発見したので、すぐにカリフォルニアにはゴールドラッシュが始まった。 ほんの数年でこの町は急激に大きくなり、一八四七年に数百人だったのものが、五〇年には、二万五千人に膨れ上がった。 そして、世界でも「最も不道徳な町」と言う悪評が広まった。「生き急ぎ、死に急ぐバーバリー・コースト」(野蛮人海岸)とも呼ばれたのである。 ◎ 金融とハイテク産業中心の シスコ経済西部をリードす しかし、金が採りつくされてしまうと、再び穏やかで堅実な町として発展した。 港湾貿易やネバダ州で発見された膨大な銀、鉄道の敷設などを土台にして、サンフランシスコはさらに大きく繁栄をした。 二〇世紀になると、一九〇六年には大地震があった。 三六年にベイ・ブリッジとゴールデン橋の完成があり、米国の太平洋岸の要に成長したのである。 日本との四一年十二月からの太平洋戦争以降の、サンフランシスコの戦略的重要性と、大戦後の日米関係における経済的重要性はここで言うまでも無いことである。 これが簡単なシスコの歴史である。 シスコ最初の教会「ドロレス伝道教会」は「ゲイ」の町、「カストロ・エリア」に隣接している。 一七七六年に作られた古い教会は、礼拝堂の壁が干しレンガで、金色が基調で「イスラム調」である。 この教会は、フランシスコ会の神父たちが、北のソノマから南のサンジエゴまでに、二一カ所の教会を作ったうちのひとつであった。 スペインとメキシコから運ばれた祭壇装飾は金色に輝いていた。 祭壇の前に膝まづいていたら、私はスペイン、メキシコ、イギリス人達の闘争と、アメリカ建国の歴史と西部開拓の苦難の思いが、蘇って来るようだった。 正にここは、「シスコ発祥の地」であった。 「サンフランシスコは、第二次大戦後、急激に発展し、五−六〇年代にはビート族、ヒッピー族の中心地になり、七−八〇年代には、ハイテク産業と金融の中心地になりました。 南へ三〇マイルでスタンフォードがあり、その先にはハイテク産業のシリコンヴァレーの中心地サンノゼ市もあります。 米国の西の末端の都市サンフランシスコが、太平洋全体の米国の権益の中心としての自覚を持ったのは、八〇年代になってからですね。今後は米国の最高水準の経済と文化の中心的存在に、シスコは発展していきますよ」と、話していたのは、経済ジャーナリストのケニー・ウオ?レン(五八)さんである。 「金融、学術、流通、美術、映画、ワインなどで全米有数の水準が維持されています。 シスコでは、ハイテク長者が欧米の美術品を大量に輸入しているので、欧米の美術品市場は、シスコの経済で維持されていると言われていますね。」と言う。 大理石造りの五二階建て高層ビルに本部を置く「バンク・オブ・アメリカ」や、損保、国際銀行が入るピラミッド型の「トランスアメリカ」はシスコの象徴である。 日本の銀行もバブル時代には米国の銀行を幾つも買収したが、今は話題にもなってはいないと言う。 「今、シスコで話題になっているのは、中国人が銀行、損保の買収に参入してきていることです」とケニーは言う。 ここにも時代の大きな変革の波が感じられたのである。(続く) (日本ペンクラブ、日本文藝家協会、日本評論家協会、日本美術家連盟、日本旅行作家協会各会員、日本外国特派員協会協賛会員。経営学博士) |
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