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楽聖と言われし人の庭に立ち 人刺す瞳で睨れし思い (12月22日)(水)

 ルードヴィッヒ・フォン・ベートーヴェン(1770−1827)は、1824年5月27日、ウイーンのケルントナートーア劇場で「交響曲・第九番」を初演して終わった時、聴衆に背中を向けていたので、アルトのソロ歌手に促されて振り向いて、初めて聴衆の大喝采を知ったと伝えられている。
 聴力を完全に失い、他の病気も出て体調も甚だ悪く、長年暖めてきたこの大曲に、人生の全てを注ぎ込んできたベートーヴェンのすさまじい生命力と、強靭な精神力に、聴衆は心を打たれたのである。
 
 ウイーンのハイリゲンシュタットの家を、私は数年前に訪問した。
 そして小さな庭のベンチに腰掛けて数時間瞑目していたことがあるけれども、「もって瞑すべし」と言う言葉はこのことなのかなと思案した次第である。
 何時からか、ベートーヴェンの「第九」(合唱付き)は、完全に日本文化に根付いて、師走の「歳時記」「風物詩」になってしまった感がある。
 本場のドイツでは、「第九」は特別の曲であって、極めて尊敬されているけれども、日本のように師走に、必ず合唱されるとは限らないらしい。
 
 ところで、洋画家(油絵画家)は、事情は分からないけれども、良く酒を飲んだり喚いたりするから比較的に短命で終わるが、日本画家の方は、細かい線描写で表現することが沢山あるから、酒などを飲んで騒いではいられない。その分だけ長命だと言われている。
 人間の寿命は自分でも計り知れないが、65歳を過ぎれば、誰でも高齢者となって、死亡日時を待って、毎日を生活しているようなものである。これを、本人が気がつかないだけである。
 
 今は昔に比べると平均で10年位寿命が延びていて、昔の70歳が,今80歳、60歳が70歳、50歳が60歳、40歳が50歳と見て宜しいと言われている。
 ことしも「喪中につき欠礼のご通知」が50枚も私の所に来ていて、年賀状を出すためにチェックすると、他人の生き死にの有様が大体理解出来る。
 と同時に、いずれこのことは自分の身の上にも起こることを充分に予感させてくれる。
 
 そう言う意味の話を、私は、昨日の「カレント」の月例会合でしたら、「小久保さんのエッセイを呼んで、小久保さんくらい楽しい人生を送っている人も珍しいと思います。
 他人は他人であって、ご自分はしっかりと来年も元気で生きてください」と、ドトール・コーヒーの鳥羽社長に激励された。もっともだと思う。
 明日知らざる生命であるから、一生懸命に毎日を生きていかなければならないと思う。
 
 晴れ 9時 案件があって要談(北小岩) 10時 岸本氏の告別式(小岩・東京葬祭)
 11時 トーヨー 12時 案件があって要談(区内)
14時 案件があって要談(区内)
 
 19時 レニグラード国立歌劇場管弦楽団 A・アニハーノフ指揮 ワグナー「タンホイザー序曲」「ローエングリーン前奏曲」 
 ヴェルディ「ナブッコ・金色の翼に乗って」「アイーダ・凱旋の場」 ヘンデル「メサイア・ハレルヤ」 シューベルト「アヴェマリア」 
 モーツアルト「ミサ」 ブラームス「ドイツ・レクイエム」 ヴェートーヴェン「第九・第四楽章」と言う盛りだくさんの売れ易い有名な大曲で、しかも素人好みの「集大成コンサート」に行く (東京文化会館)。
 
 A・アニハノーフの指揮は楽譜に忠実であった。ソプラノのミロノワ、トレグヴォビッチ、メゾ・ソウラノのビリューコワ、テノールのカルポフ、バスのマトヴァーエフの声量が圧倒的である。
 やはり日本人は歌手の基礎体力では、彼らとの比較では、どうにも成らないものだと思った。
 寒さも程ほどで、上野の繁華街は、忘年会で人々が一杯で大賑わいであった。
 遅い晩餐(高田屋)をしたが、忘年会の若者で騒々しく活気が溢れていた。
 留守宅に大西英男氏が来訪。

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