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斑鳩の里に思い出遠くあり 暁の寺古えの道 (12月03日)(金)

 江戸川区在住の歌人 松原信孝氏から大著で労作「吉野秀雄私稿」をもらったので拝見した。
 これとは別に、最近、むかし女ありけり『炎(ほむら)立つとは』(福本邦雄著)が講談社から出ていて、広く読まれているらしい。
 表題は、死を間近かにした妻が、今生の思い出に、炎たち、つまり勃起して、性交したいと夫にせがんでいる光景を、歌人吉野秀雄が
 「これやこの一期のいのち炎立ち せよと迫りし吾妹よ吾妹よ」と詠んだ。
 吉野の前妻はつ子夫人が昭和19年8月19日、享年42歳で鎌倉市の病院で胃がんで亡くなった当時の歌である。
 
 この本「炎立つとは」には、26歳で逝った石川啄木から、100歳の土屋文明までの23人に歌人たちの、赤裸々な情感を歌に込めた生涯の、その妻や恋人たちとの関わりを描いた作品で、最近注目されているである。
 石川啄木、道浦母都子、李正子、与謝野鉄幹、与謝野晶子、吉井勇、北原白秋、若山牧水、川田順、長塚節、伊藤左千夫、中村憲吉、島木赤彦、古泉千樫、斉藤茂吉、会津八一、吉野秀雄、土屋文明、窪田空穂、釈迢空、金子文子・(朴烈)、中条ふみ子、石川不二子の23人である。 
 
 真命(まいのち)の極みに堪へてししむらを 敢てゆだねしわぎも子あはれ
 これやこの一期のいのち炎立ち せよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹
 ひしがれてあいろもわかず堕地獄の やぶれかぶれに五体震はす
 ししむらとは女性器であり、炎立ちとは勃起である。これについて、吉野秀雄は「誇りも無ければ卑下もなく、これで致し方なく、これでぎりぎりなんだ」と妻を失った時、書いている。
 人間の命の極限では、何かを取り繕うと思っても、言葉にならない。
 生か死か、歌人は命を賭けて人生の極地を表現しているのである。
 
 歌人 吉野秀雄は、明治35年7月3日に、群馬県高崎の生絹買継問屋に生まれた。「天井凝視」「寒蝉集」「晴陰集」などの作品があり、昭和42年7月13日に66歳で亡くなった。「吉野秀雄全集」がある。
 吉野は会津八一の弟子であり、非常に尊敬の念をもって交友があったようだ。
 「恥多きあるがままなる我の身に 添はむとぞいふいとしまざれや」再婚する妻登美子との関わりを詠っている。
 戦後直後、法隆寺が炎上した時、
 「いかるがの寺の棟よりくれなゐに 炎のなびく世にぞ逢ひける」と詠った。
 
 かなり朝晩冷え込んで来た。晴れ 8時 案件があって来客要談(自宅) 電話で松下彰男区文芸議連会長と6日の会合の打ち合わせをした。詳細は6日朝のもう一度することにした。
 9時 要件があって出かけて(北小岩)要談 12時 運送会社が来て絵画の運搬(自宅)
 14時 案件があって要談(トーヨー) 19時 江戸川明社役員忘年会(グリーパレス)
 夜 手紙、雑誌、書類、本、原稿など整理。

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