<カレンダーへ戻る
バックナンバー 

茶番劇日に日に続く人生の 生るも可笑し死するも可笑し(11月27日)(土)

 私は日記をつけるためるために生きている。貧乏も日記のさかなだ。
 まさか、日記帳までがなくなる世の中になろうとは、思わなかった。
 と、喜劇役者の古川ロッパさんは昭和19年元旦の日記に書いていた。
 戦争で紙不足のために東京の書店から日記帳が姿を消した。
 
 永井荷風の「断腸亭日乗」は文学的価値があるし、徳大寺公望公の秘書の「原田日記」や殿下の秘書が書いた「高松宮日記」は暦史的な資料である。
 佐藤栄作元首相も「佐藤日記」を残している。喜劇人の徳川無声さんも膨大な「日記」を残した。
 昭和17年の夏、危険な南方戦線を訪問する事になった。「南方から生きて帰って来られないかもしれない。だとしたら、日記など少し馬鹿げている。天気か、雨か、何を食べたか?そんなことはどうでも良いではないか」
 と書いた。五十日間ほど空白の時期がある。書く事をやめた心境を回想して、あとで書いている。
 
 東京の書店や文具店を歩けば、色とりどりの歳時記や5年連用や10年連用の日記帳が並んでいる。
 来年は敗戦後60年になる。「明日」が見えない時「今日の日記」は無意味になるだろう。
 「人生は明日を生きるために今日生きる」と言う。私も身体が動かせなくなるまで「日記」をつけようと思って、「遊人日誌」を始めた。
 昔、事業をやっていた頃は「日記」をつけなかった。日めくりカレンダーに要件を書いておいて、「今日」が終わると、破いて捨てた。
 
 40年くらい前のある年に、税務署員が来て、カレンダーを押収した事があって、それから一切、記録は残さない事にした。
 しかし、約20年前に信用組合の理事長になってからは、税務署の追求は関係がなくなって、「日記」は日常の業務を行なう為に必要品になった。
 ダイアリー(手帳)程度のものだが、外国に行けば当然それを原稿にまとめるから、メモはどうしても必要である。
 日本にいれば、予定表がなければ、仕事にならない。かくて「日記」はずっと今日まで続いている。
 
 私はこの「遊人日誌」を正式に、2003年12月1日から始めたのである。
 何時私の身体が動かなくなるのか、分からない。元気な内は「遊人日誌」をかき続ける所存である。
 
 7時半頃自宅をタクシーで出た 羽田空港 9時45分 JAL0424 羽田発広島行きに乗る 11時10分 広島空港
空港からタクシーに乗ったら、50分かかって1万5千円だった。
 2004-5年 國際ロータリー研究会(リーガロイヤル広島)に出席する。この会議は毎年1回行なわれる行事である。
 
 18時30分から広島の筒井さんのお世話で、「ハントレー会」を平和大橋袂のかき舟「かなわ」で開催して、大いに盛り上がった。18名の出席。
 小生が開催挨拶と乾杯をした。隣に座った大先輩で88歳になる北海道の富原薫北海道放送元会長によると「北海道新聞政治部記者時代の昭和30年ごろ、当時の鳩山一郎首相、河野一郎農相のソ連訪問に同じ飛行機で同行した」と言う大昔の裏話を私にしてくれた。
 栃木県の片柳さんが亡くなって、寂しいことになった。告別式は12月16日に行なわれるとのことである。リーガロイヤルホテル・ヒロシマ泊。

<カレンダーへ戻る