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| 七五歳アラハット死亡三五年 PLO指揮中東の星 (11月11日)(木) 人間は歳をとっていくと、眠りが浅くなる。私も大体一晩に三回くらい起きる。 睡眠時間も短くなって行く。したがって、昼食の後などには眠むくなって困る。 集中力を持ち続けていく時間がそれだけ短くなって行く。 パレスチナ解放機構(PLO)議長のヤセル・アラハット(75)がパリの病院でフランス時間11日3時半(日本時間11時半)死亡した。 35年間中東問題の中心的人物として、、パレスチナ民族解放運動のリーダーとしての波乱の生涯であった。 中東和平に今後どのように影響が及ぼされるのか、良く分からない。 日本時間11日24時頃、パリ郊外の空軍基地空港で、フランス首相も出席して、簡単な送別式が行なわれた。 遺体は、5時間かけてエジプトのカイロに送られて、「国葬」に近い形で盛大な葬儀が行なわれる予定だと言う。 昨夜半から雨が降った。朝は曇りであった。6時には起きて7時30分には家を出た。 8時ごろには東武浅草駅に着いたので、駅前のエクセシオルでクロワッサンとティで20分には日光行きに乗った。 10時15分には日光着 10時30分から日光林間学校の行政監査に入る。 丸山みどり課長から事情を聞いた。私は3年ぶりの林間学校監査である。 敷地が1万坪、簿価2億5千万円、建物は約2千坪で、部屋は62あり、屋内体育館2箇所、食堂、会議室、談話室、事務室などある。 昭和50年の第一回の建設以来、幾度もの改修を重ねて、30年間に13−4億円を掛けている。 グランドは千五百坪、野外炊事場2箇所あって、一日の児童の定員は五百人であり、約8千人の生徒が年間に利用している施設である。 東武日光駅から徒歩30分、車で5分の場所にある。 敷地の中に小杉放庵と親族の墓数基がある、この墓地は目暗地所で区の敷地を通らないと入れない。 有名な画家の墓が敷地内にあるのに放置されていて寂れて朽ち果てようとしていた。 日光市元助役だった人が、放庵の親戚だったらしいが、亡くなったらしくて今では市も余り熱意がないようである。 江戸川区は「猫に小判」「豚に真珠」の類だから、余り感心はない。 私は、みどり課長には「小杉放庵画伯のことをもう少し調べた方が良いよ」と言っておいた。 今年の紅葉も終わって、木々は落葉して初冬を迎えようとしていたが、気候は比較的に温暖で、爽やかであった。 監査が終わってから、霧降高原、霧降の滝を短い時間だが参観した。 14時25分の電車で、下今市乗換えで浅草着で帰京した。 17時には案件があって要談。夜は、身辺整理など。 深夜 CNNTVでアラハット議長のパリ郊外における、送別式の様子を見た。ここで、中東の歴史が、確実に1ページめくられた。 アラハットの悲願はエルサレム市東部を首都として、西岸とガザ地区を領土とする「パレスチナ国家」の樹立であった。 しかし、パレスチナ過激派は、イスラエル国家の存在を一切認めていないで、テロ活動を繰り返している。 一方、国家の存立に危機感を持ったイスラエルのシャロンは、アラハットをこの2年間、ラマラの事務所に軟禁状態にして、外出もさせなかった。 アラハットの死によって、状態がどう変わるのか、世界中が注目している。 |
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