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人は人我は我なる人生も 無理無駄ムラ無く歩むは難し (11月06日)(土)

 ボランティアを、ロータリー活動や文化活動、執筆活動などで、私は長年やって来た。
 昔は「ボランティアをする人は、カネモチか暇人だ。」と言う評価があった。
 「江戸川区美術会」と言うのがあって、今年で52年目になった。
 昭和27年、未だ敗戦後の退廃の色が濃くて、江戸川区が「未開の町、人が住めない町、水害の町、文化果つる所」といわれていた時代であった。
 一握りの絵描きや彫刻家などの文化人が集まって、この寂れた町で展覧会を始めた。
 
 当時の小岩公会堂(現在の小岩図書館)と小松川公会堂(小松川事務所)が会場で、木造バラック建ての粗末な会場であった。
 作品の数も少なかったが、皆、カストリ焼酎を飲みながら、芸術談義や、得意の他人の悪口にはなを咲かせていた。
 私は油絵を描きたくて、当時、東郷青児先生の久我山の自宅に、通い始めた頃の事で未だ18歳の子供だった。
 
 昭和29年に初めて、私が自分の油絵をこの「江戸川区美術展」に出品してから、もう50年にもなる。
 まさに「夢幻の如し」である。最近は趣味で絵画を描く人が多くなって、出品者数もうなぎのぼりで、劇的にこの世界も変わって来た。
 私は日本唯一の画家と彫刻家の職能団体「日本美術家連盟」会員番号が「1720」だが、現在は1万前後になっている。
 ただし、亡くなった人の番号は欠番だから、現在の会員数が何人か、私は事務局に問い合わせたことがないので分からない。
 多分3千人以下だろう。他の人は皆亡くなっているのだろうと思う。
 
 今、私は感慨深くこう思う。「皆、人間は死ぬ者である」と。
この江戸川区美術会のほうも、殆ど全ての私の先輩が亡くなってしまった。
 私自身も、やがて死ぬことになるが、それまでは何とか言いながらも生きていかなければならないが、これは辛い話である。
 ボランティアを今でも馬鹿にする人は多いが、結局人間は自分一人では生きられない。
 ボランティア仲間は大事にしないといけないし、友人は大切である。
 
 しかし、最近、ボランティアと称して人を裏切る小悪党の人間が多くなって来て、気をつけなくてはならなくなった。
 これも悪い世相を反映しているのである。「お人良し」はカネを巻き上げられる。
 結論めいた話になるけれども、余り真面目に、真剣にボランティアに対応すると「怪我」をすると言うことだ。
 何ごとも「好い加減」に加減して行なうのが良いと思う。
 
 「第12回城東ブロック・ボランティア交流会」と言う集まりがあって、私の属する江戸川区福祉ボランティア団体協議会が開催団体だと言うので、9時過ぎに出かけた。(江戸川区グリーパレス)
 10時から開会、小生が挨拶をした。あとはボランティア活動の発表、昼食、ボランティア体験、全体会などで15時に終了した。
 
 私は13時過ぎに中座した。14時 案件があって要談(区内) 15時30分 第52回江戸川区文化祭美術展表彰式に行った。(タワーホール)
 16時過ぎから打ち合わせと準備。18時に展覧会会場を閉鎖して、2階「瑞雲」で開会。
 
 18時 私の開会とお礼の挨拶、多田江戸川区長、島村農林水産大臣、大西都議、八武崎区議会議長、嶺井区教育委員長、松下区議会文化芸術振興議員連盟会長の挨拶が続いた。
 表彰式に入り、区長賞、区議会議長賞、教育委員会賞、文化会長賞、美術会賞、努力賞、佳作賞までで約60人。
 18時50分 懇親会、佐々木文芸議連副会長の乾杯 懇談 中締め 川田副会長 20時前に無事に閉会。
 島村農水大臣は、国家公務が極めて多忙にも拘わらず、他の約束をキャンセルして来てくれた。長年の友情であろう。
 
 区文化祭が終わると、私には「円蔵寄席」(小生が「励ます会」幹事長)「多田区長を囲む会」(実行委員長)「ボランティア交流会」(会長)と続き、師走を迎えて、あっと言う間に暮れ、正月となる。
 これが自分だけの歳時記である。曇りのち晴れの暖かい、慌ただしい一日であった。

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