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寒気来て路上に暮らす人々の 避難生活厳しさを増す(10月26日)(火)

 生まれて初めて自分の名刺を持ったのは何時のことだったか?
 初めてお中元を貰ったのは何時だったか? 初めて女性を意識したのは何時だったか? 初めて女性と親しくなって交渉を持ったのは何時だったか?
 特に後の二つは、「私小説」の題材になっている永遠のテーマである。
 
 私の場合、名刺のほうは、多分、昭和30年に「読売アンデパンダン展」に洋画を出品して、その後、秋の「二科展」に初入選して、上野精養軒で二科展の懇親パーティーなどがあって、相手から名刺を貰って、私も何とかしなければならないと考えた時だったと思う。19歳の時だった。
 その時に「肩書」を何としたかはまったく憶えていない。「無」か「洋画家」としたか分からないが、名刺を作ったことは間違いはない。
 
 昭和32年?頃に「日本アートクラブ会員」と「日本美術家連盟会員」にして貰って、「肩書」入りの、名刺を作った。
 その後は、パリに行ってフランス語の名刺を作った。
 帰国してからは、「不動産業」を始めるに当たって、昭和38年頃には、自分で「東葉開発株式会社」と「小久保産業株式会社」を相次いで創って社長になったから、当然、毎日名刺は欠かせないものになって、半世紀経った今日に到っているのである。
 
 次に「お中元」と「お歳暮」の方は、学生時代、神田の画材屋さんからいろいろと洋画の材料を買うので、「お中元」を貰った記憶がある。
 反対に「お中元」や「お歳暮」を差し上げたのは、これも絵画の世界に入って頃、お世話になった人に送った記憶がある。
 半世紀経って今でも、手元に作曲家の古賀政男先生に「お中元」や「お歳暮」を贈ると必ず「自筆」で「お礼状」をくれたので、参考までに取ってある。
 
 女の子をはっきりと意識したのは、小学校4年生の時で、当時は敗戦直後で、焼け跡の校舎でアメリカ式に男女別々の組から初めて共学になったときだった。
 色気も何もないけれども、同級の女の子に気にいられたいと思ったのが初めての記憶である。
 5年生の時に、日帰りの修学旅行があって、途中の電車が大変に混んで押し合いなった。
 丁度、私の目の前に、その頃、私が好意を寄せていた女の子が押し出されて来た時に、その子の身体に触れた。
 「ずんぶん女の子の身体と言うのは、柔らかいものなのだなあ・・・」と思ったし、「ここままずっと身体を付けたままで置けたらいいなあ・・・」と思ったのが、多分最初の経験であったと思う。
 
 最初の性体験の方は、まだ油絵の勉強を始めたばかりの頃で、私は、高校生にもかかわらず、夜は、飯田橋の東京日仏学院に通っていた時であった。
 相手は、フランス人に一緒に油絵を習っていた同級生で、四つ位年上の会社員の女性だったと思う。
 私はあまり好きでもなかったが、成り行きでそうなった。相手のほうも、同じように感じていたらしくて、三−四回付き合っただけで、止めた。
 
 その後の体験は、様々色とりどりで、延延と続いて馬齢を重ねている次第である。
 今考えて見ると、若い頃はやはり純情であり、夢らしいものも少しはあって、試行錯誤で色々やってみて、しかもその結果がどうなるのか、先のことは良く分からないでいた。
 
 振り返ると、私の人生は、随分と無配慮、無計画、無策の繰り返しであったと思う。
 近年、私は「作家」として「日本文芸家協会」や「日本ペンクラブ」に入った。
 「評論家」として「日本評論家協会」や「日本外国特派員協会」に、また洋画家として「日本美家連盟」に籍を置かせてもらっている。
 そして、いよいよこれから自分の最後の「悲劇」である「死」を迎えようとしている。 
 何とも「締まらない人生」であり、忸怩たるものがある。しかし何も分からない?他人から見るならば、私と言う人間は、人並みか、或いは人並み以上に人間に見えるらしいから、世の中は誠に不思議である。
 
 先日も、現代日本で活躍中の創作舞踊の大先生から「貴方が言うように、貴方が人生の落伍者だと言うならば、日本中の皆が落伍者と言うことになりますよ」と怒られた。
 しかし、自分を自分から見るならば、自分は、あまりしっかりした「人生」は歩んで来なかった。
 今まで一体何をやっているのかも良く分からない。
 最近、私は堺屋太一、三宅久之、橋本聖子、ガッツ石松、杉良太郎、森本敏氏などなどの、現代日本で活躍中の優れた人材に直接お目にかかった。
 いずれも自分をしっかりと持った方々であって感心した次第である。
 
 しかし、私は生きている以上は、「しっかりと頑張って生きて行かないとダメだな」と思い「さあ、明日も生きよう」と思料している。
 すこし理屈っぽくなるが、人間は一人では生きられないし、生きても行けない。
 人間は唯「生かされているだけである」
 今年は「自殺者」が相続いた。野沢尚も鷺澤萌さんも夢が叶って何者かになった人である。何者かになって、何かを失ったのか? 私には良く分からない。
 
 台風24号の影響で雨が降った 8時 案件があって来客要談 8時40分 トーヨー 9時 区監査委員室へ行く
 9時30分 江戸川区施設公社 江戸川区社会福祉協議会の行政監査
 13時 平井のスーパー堤防視察 大雨の中、寒さが増して震えた 15時 雨の中、江戸川区区政功労者表彰式に立ち会うために出席する(タワーホール船掘)16時5分頃に終わった
 
 18時 江戸川区福祉ボランティア団体協議会運営委員会に出席する(グリーンパレス)
 福祉ボランティア団体の皆さんと、打ち合わせや報告を聞いていると、世の中は、けして「悪い人たち」ばかりではないと感じるのである。
 この世は、まさに金権魔者、悪人の巣窟みたいになってしまっているが、彼らは、一切金銭的利害や、名誉や地位に関係なく、何の報酬もなく「善意」の行為を、地味に地域社会の中で長年にわたり続けている人々である。
 
 それなりに自分を納得させるボランティア論理もある。
長年ボランティアをやっていると馴れが来る。どんな人間でも持っている、この人間性の「馴れ」「業」を如何に解決するのか、これも一つの課題であろう。
 
 夜 村上龍「人生における成功者の定義と条件」を読む。「生活費と充実感を保障する仕事を持ち、かつ信頼出来る小さな共同体を持っている人」を筆者は「成功者」と言う。
 その具体例として、本書には安藤忠雄、利根川進、中田英寿などが登場する。
 彼らの仕事に対するモチベーションの源を探って行くインタビュー集である。

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