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弐百年経しアマデウス輝きの オペラの神髄歌唱力哉 (10月18日)(月)

 人間は必ず死ぬ。死ぬまでは生きて行かなければならない。
 生きる以上はけじめをつけて、一生懸命に生きたいと私は思う。
 私は、人間の行き方を突き詰めて行けば、必ず「死」に結びつくと思っている。
 人間には「死」があるから「生」がある。「生」と「死」は孔子さんの言った通り「分からないもの」である。
 
 勿論、私にも良く分からない。しかし、私は「死」の実態についてはこう考えている。
 当たり前の事だが「死ぬ」と言うことは、寝むったままで心臓が停止して、意識がなくなることである。
 意識がなくなり命が終わることは、つまり、人間が「ゴミ」になることである。
 それで全てはお終いであり、後始末は他の近親者がやる。勿論、本人は意識が無いから何も分からない。
 遺骨はどこかに壷に入れて収めるか、散骨する。それだけの事である。
 
 「普通の人間」は、もし死ねばその人は、3日間の「話題」でお終いである。
 死んで悲しむのは近親者だけである。部外者は野次馬である。
 勿論、「通夜」には何人かの他人が来てくれて、何やら全然意味のないことを言い合う。
 最近は「通夜」に来た人は「葬式」には来ないから、その次に友人が出会った時には、死んだ人の「話題」が必ず出る。
 
 更にもう一回くらいは、友人の間で、多分「話題」になることがあるだろう。
 しかし、これでお終いであり、その後は誰の口の端にも、話題にもならないだろう。
 これが「普通の人間」の「死」である。利害関係の無い人には他人の死は無意味なのである。
 
 しかし、それらとは、まったく異なっている人達も沢山いるのである。 
 実例を挙げると、私は、最近オーストリアの作曲家アマデウス・モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」と「フィガロの結婚」をあまり日時をおかずに続けて鑑賞した。
 約220年近くの昔に亡くなった、あるいは殺されたらしい、弱冠36歳の作曲家アマデウスの作ったオペラが、彼が名前さえ知らなかっただろう、地球の反対側の極東の島国、日本の東京文化会館や公共放送局のホールで演奏された。
 
 6万円もの高い会費を払って見に来た観客達が、興奮して総立ちになって拍手する場面を見ていて、私はモーツアルトは死んでも彼の魂は未だに220年後の今日まで、他人の手を借りながら、生き続けていると実感した次第である。
 モーツアルトは「普通の人間」ではない。ベートーヴェンと並ぶ「偉大な音楽家」であり、「特別の人間」である。
 「人間の一生は短いが、芸術は長い」のである。
 
 最近、若者が集団自殺して話題になっている。練炭火鉢とテープで密封した、リースのワゴン車が舞台であった。
 何となくイナターネット上で架空の友人になり、相談してそのまま死んでしまったらしいが、「インターネット依存症」に、はまり込んだ連中が、今は非常に多いから、これからもあり得ることだ。
 
 ブッシュさんの率いるアメリカ政府は、イスラム教のイラクを「民主化」すると言うが、これは横車を押す事と同じである。
 もともとイスラムには「民主化」なんて概念も思想も教義も無い。
 
 イスラムは「平和の民」である。けして「戦争」は欲しない。異教徒のアメリカ人が国に侵略して来て「占領」したから、彼らは「戦う」のである。
 イスラムでは、「生」は「永遠である」と教える。人間が死んだ後も、魂は永久に素晴らしく「生きる」と教えている。
 「聖戦」は正義であり、「聖戦」で死んだものは永久に生きられると考えるから「自爆テロ」を若者達が進んで行なうのである。
 
 アメリカ人がイラクに駐在している以上「自爆テロ」はいつまで経っても、けしてなくならないのである。
 イスラムでは「生」と「死」は常に隣り合わせに共存している。
 死んでも「魂は永遠に生きている」と信じているイスラムの青年達にアメリカ人達が「民主主義」を押し付ける方が、完全に間違いであろう。
 
 快晴 8時30分 トーヨー 8時50分 江戸川区監査委員室 来客あり 電話多し 12時 江戸川RC例会に出席(錦糸町・ロッテ会館) 15時 江戸川区都市計画審議会(区第一委員会室)「大震災後の江戸川区の緊急対応について」各委員からいろいろと意見開陳。 
 
 18時30分 10月29日から舞踊集団「菊の会」トルコ興行が決まり、その送別会を出発前に行なうことになり出席した。
 代表の畑道代師匠はじめ4人の美女がお出でになった。トルコの話を中心にした歓談をし、食事をした。(新宿・ボスポラス・ハザン)
 畑師匠が非常に多忙な時間を割いてくださり、時の経つのも忘れて話し合い、21時過ぎには閉会・解散した。
 地下鉄都営新宿線で新宿三丁目から乗って船堀下車し帰宅。

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