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タクト振るフィガロの結婚勇壮に 小沢征爾の白髪乱る (10月13日)(水)

 かって日本と言う極東の小島からやって来た一音楽青年が、アメリカで大成功したあと、遂にウイーンで世界の頂点に立って指揮する姿を、目の前で私は、去る6日と二夜続けて見て、思わず鳥肌が立ち、胸に熱いものが込み上げてきた。
 私は小沢征爾氏とは何の関係も無くて、利害関係も持たない一日本人である。
 しかし、小沢氏の歩んだ道のりは、正に志を持った日本青年の乗り越えた苦難と激動の過程であった。
 私は、思わずこれまでの自分自身の人生とダブらせて見て、到底、感動で涙が止まらなかった。
 
 小沢征爾氏は最近「日本人として西洋音楽をどこまで究められるか、その実験をしているのだ」と言っている。
 これは、凄いことだと私は考える。分野がまったく全然違うけれども、現在、アメリカの野球界に大旋風を巻き起こした、あの偉大なイチローと同じ道を究めた者だけが許される大きな発言と、非常に似ているように思った。
 
 五十歳代位までの小沢氏は「僕は、日本人だとかドイツの曲だとか、アメリカのオーケストラだとかは意識しない。西洋とか日本人とかにこだわらずに自由に考える」と言っていた。
 かって、小沢氏は欧米で「小沢は仏教徒なのに、何で我々の音楽であるバッハやベートーヴェンが分かるのか」と良く質問されたと言う。
 もはや、小沢氏にとっては「これで良し」と言うことはなくて、あくまで総てが「未来」への実験だと言う。
 音楽の世界にあって、すでに位人臣を極めてなおこの心情は我々凡人には到底計り知れないものである。
 
 日本経済はバブル崩壊後、モラルハザードを起こして、世界経済の中でまったく精彩を失ってしまった。
 かって、日本は「富国強兵」に励み、世界から孤立して、重大な結果を招いた。
 戦後猛烈に働いて「経済大国」と言われるようになったが、これの「砂上の楼閣」であることが分かった。
 
 それ較べると、小沢征爾氏のキャリアと存在感と輝きは特段と光輝いていると思える。
 小沢氏の存在を通じて、日本の精神文化が、欧米で大きな評価を受けつつあることは、同じ日本人として誇りである。
 
 雨のち曇り 9時 案件があって要談(トーヨー) 11時 国際政経懇談会があって出席した(渋谷東急イン) 12時 講演会と討論会 14時 分科会  16時  早い夕食(神南町・酔香楼) 18時 ウイーン国立歌劇場2004年日本公演
 小沢征爾指揮「フィガロの結婚」(4幕)を観賞した。言うまでもないモーツアルトの歴史的傑作オペラである。劇のあらすじや評価については、良く知られたもので、字幕がでるが必要としない人も多い。
 
 ただ、会場の聴集は、小沢氏の手によって導き出される音楽と、オペラ歌手の腹の底から出される声を聞けばそれで良いのである。
 ところで、小沢氏の演奏の最中、私がふと気がつくと、左隣の座席の女性の膝が私の右膝に時々こつんこつんとあたる。
 そっと覗くと、ミニスカートの足を組んでいるが、うす暗い中で形が良い長い足が、スカートから剥き出しになっていて、私の左膝にふれていたのである。
 
 オペラの大熱演は続いた。なかなか終わりそうもない長い時間のようであった。
 そうした時間がしばらく続いて、ようやく休憩時間になった。
 私はそっと彼女の顔を見たが、少しがっかりした。彼女は度の強いメガネをかけていた。
 私は会場の暗闇でいろいろと詮索した分だけ損をしたと思った。演奏会は22時15分頃に終演して解散した。

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